『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ』 を読んだ

『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ』
具志堅隆松著 合同出版2012年9月10日発行


 ずいぶん前、長崎県佐世保の路地裏でたまたま見つけた商人宿のような古い小さな宿でのこと。手作りらしい花壇に使われていた、亀甲模様の陶器が手榴弾の残り物であることを聞いた。金属が不足し、焼き物を使ってまで手榴弾を作る。そんな戦争に勝てるわけがない、のにそんなものを余るほど作ったわけだ。


 その焼き物の手榴弾が沖縄の地中からよく出てくる。もちろんそれだけでなく、米軍の不発弾、それに米軍の100分の1ほどの数の旧日本軍の弾の残りかす。だが、この本の著者の活動にとって、爆弾は主目的ではない。表題通り、遺骨を掘り出し、可能であれば遺族に返してやりたい(大抵、それはとても困難なのだが)との思いで遺骨を掘り始め、その活動を通じて様々なことに気づいていったことを、そしてそのことにまつわる心情を素直に述べている。


 初めのうちは、ただ遺骨の身元まで分かるようにとの思いで、丁寧に掘ることを続ける。行政に任せてしまうと、入札にかけ業者に任せてしまう。業者は効率的に掘り出すため、一帯の土をベルトコンベヤに乗せただ土と骨を選り分けるだけだ。著者達は遺跡の発掘のように丁寧に掘り出し、薄い可能性ではあるが身元が判明する証拠品も丁寧に掘り出す。そんな活動を続けるうち、遺骨、遺品が雄弁に戦争の状況を語っていることに気づく。


 手榴弾は一人が二つ持っていることが多い。一つは敵を、一つは自分を殺すため。日本軍は、沖縄住民を守るためにあったのではなく、逆に日本軍を守るために沖縄人を犠牲にしたことを物語る、証拠の一つだ。


 戦争は権力者が行う。国民の権利を守るため、などと言うかもしれない。だが一般国民が戦争など望むはずもない。まずもって戦争は権力者のために行われるものなのだ。その犠牲になった沖縄の人の数は今もってはっきりとは分からない。一方、アメリカ軍の遺骨は出てこない。アメリカ軍は専門のチームまで作って、必ず遺骨を遺族の元に届けたそうだ。せめて、遺骨を遺族の元に届けたい、との思いで今も著者達は活動を続けている。