広島型原爆640個分の爆弾を使った戦争の本質とは

『動くものは全て殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』

原題:KillAnything That Moves  The RealAmerican Warin Vietnam
著者:NickTurse  訳:布施由紀子訳  みすず書房2015/10/1発行


前回の予告通り、上記書籍を読んだので、ご紹介する。

ずいぶん前、映画好きの友人がよくレンタルビデオを借りてくるので一緒に観ていたことがある。ある頃、ベトナム戦争を題材にした作品ばかり続けて観たことがあった。例えば『地獄の黙示録』、『フルメタル・ジャケット』といったかなりの評価を得ていた作品ばかりだった。あの頃はまだまだベトナム戦争の本質とはなんだったのかといったことを追求する空気があり、どの作品もそれぞれにベトナム戦争の闇に迫ろうとする気迫に溢れ、名作と言われているはずだ。
だが、この本を読むと、それら名作があまりにも物足りない、ピントの相当ぼやけた作品だったように思えてくる。実際のベトナム戦争は‥‥あんなものではなかったのだ、と。むしろかなりの線まで漏れかけていた、この戦争の口にするのもおぞましい重大な犯罪的本質を描ききれなかった点では、大きく評価を下げざるを得ない気持ちになる。それどころか、その後の追求を鈍らせたかもしれないという意味ではマイナスの評価さえ与えたくもなる。

この本には、これまで明確に表現されてこなかったベトナム戦争の実態が、これでもかこれでもかというほどに夥しい実例に沿って描かれている(あるブログには読んでいるだけでPTSDになりそう、と書かれていた)。
はじめに述べておきたいのは、それらの実例は膨大な量の資料、証言に基づいていることだ。文中の引用、証言には逐一その出所が明記されている。その資料とは以前の研究者の報告や公刊されたものなどもあるが、特記すべきは大量の軍の資料が含まれることだ。そもそもこの本を書かれるきっかけになったのも、たまたま別の研究中に参照した、軍のベトナム戦争犯罪作業部会の記録文書だったのだ(その資料はその後、閲覧が制限されてしまう)。また証言は可能な限りの存命中の元及び現軍人、それにベトナムにも赴き、ジャングルの奥の小村にまで訪ねて、実際に米軍の不法な戦闘の被害にあった人々にも丁寧なインタビューを重ねたものだ。上梓するまでに10年を費やした労作である。

アメリカのベトナムへの軍事介入の過程には、近年中東において元々アメリカが支援したビン・ラディンが後にアメリカを標的にしたのと似た経緯がある。第二次世界大戦中、日本がインドシナを占領すると、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟会(ベトミン)はアメリカを支援、その見返りにCIAの前身である戦略事務局から武器供与などを受け戦ったという。日本敗戦後、アメリカ独立宣言を手本にしてベトナムの独立を宣言したホーはその後もアメリカの支援を期待していた。ところがアメリカは冷戦への対処で、旧支配国だったフランスへの軍事支援をはじめる。そしてフランス軍がベトミン軍にたたきのめされ撤退、アメリカが直接介入しベトナム戦争が拡大していく。


もちろんホーはアメリカと戦いたくはなかっただろう。先日紹介した『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ』でも書かれていたが、当時まがりなりにも軍事大国の一角であった日本軍でさえ(最終盤の戦闘ではあったが)沖縄戦では米軍の100分の1の弾丸しか使えなかった。戦後さらに超大国となったアメリカに対して、植民地でしかなかったベトナムなど(ソ連・中国が後ろにいたとはいえ)一ひねりで潰されてしまうに違いない弱小国でしかない。アメリカの政・軍の首脳はそう思っていたし、そう思い続けた。


実際、第三章には驚くべき数値が示されている。米軍が北ベトナムに投下した爆弾は一時間あたり平均32t。北ベトナムは歴史上最も多く爆撃を受けた国になる、という予測があったそうだ。ベトナム戦争中に東南アジアで使用された爆弾の総計は、広島型原爆640個分に相当する。ところが、その大半が南(北ではない!)ベトナムに落とされていたそうだ。航空機の出撃回数340万回、その大半もまた南ベトナムへの出撃だった。


アメリカの敵は本来北ベトナムではなかったのか。実はこれらの数値は、その他のいくつかのキーワードとともに、ベトナム戦争の本質を明瞭に物語るものなのだ。
195000人、415000人、200万人‥‥これは民間人死者数についてのそれぞれ、米国防総省の統計分析官、アメリカ上院の小委員会、ベトナム政府のいずれも推計値だ。これだけばらつきがあるのは、端的に言って実態が把握できないからだ。この数値は調査が入念になるほど大幅に膨らみ、2008年のハーバード大学医学大学院とワシントン大学保健指標評価研究所の共同研究チームによる数値は、戦闘員・非戦闘員合わせた総数で、380万人となった。また、著者の推計では負傷者も含めた被害者総数は730万人としている。当時の南ベトナムの人口は1900万人であることを考えると、極めて莫大な人数と言える。問題は莫大な人数もさることながら、数がはっきりしないという点、その理由にある。

さらにこの本の随所に出てくる、いくつかの言葉を書き出してみよう。
まず、グーク。これは新兵を躊躇なく殺人ができるように仕込む際、脳にたたき込む言葉の一つだ。元々はフィリピンで生まれ、米軍とともに世界各地で使われ続けてきた、現地人に対する蔑称である。
ボディカウント。ボディはこの場合、生きていない。要するに死体の数、のことだ。戦果を表すもっとも分かりやすい指標であった。それは現地の上官、司令官から、果ては国防長官に至るまでにとって、これ以上に分かりやすいものはなかったらしい。
自由射撃ゾーン。決してやりたい放題のことができるという意味ではなかったはずだが、その定義の曖昧さ、及び実際の運用上の歯止めの効かなさで、ボディカウントの増加にこれほど貢献した言葉もなかったであろう。また、このゾーン自体も際限なく広がっていったようだ。
他にも様々な重要な言葉が出てくるが、中には聞いたことのあるような言葉や名前もある。キッシンジャーはもちろん、コリン・パウエルの名前まで出てきた。もちろん全く不名誉な意味で。


私が子供の頃聞いたのと違う名称で出てきたのが、ミライ集落という地名だ。ソンミ村、と言えば覚えのある人は多いに違いない。当時日本でも大量虐殺事件が盛んに報じられた、その現場だ。ここまでで予想のついた人もいるだろうが、この本に描かれているのは、それが全く氷山の一角でしかなかったということだ。そして次の記述を読めば分かるが、日本人はもちろん、アメリカ人もその実態を全く知らずにきたのである。


ペンタゴンペーパーズロバート・マクナマラ国防長官が1940年代から1968年までのアメリカのベトナム政策について極秘裏に行った研究結果)・・・を読むと、四代の大統領政権が公の嘘をついていたこと、そのために国民が戦争の実態を知らされずにきたことがはっきりわかる。明るみに出た事実の中で最も重要だったのは、公式には美辞麗句を並べて崇高な理念を述べ立ててきたアメリカの戦争運営者たちが、ベトナムの人民にはまったくと言ってよいほど関心を持っておらず、南ベトナムを冷戦の覇権争いに必要な戦略拠点としか見ていなかったことだ。」

大統領の嘘はその後もうやむやになってしまうが、同様にミライ事件の容疑者は軍法裁判を受けるも、ほとんどなんのお咎めもなく事件が終結してしまっていたのだ。世界中にあれだけ報道されながら、その後どうなったか、誰も確認しなかったのだ。実は同様な事件のいくつかは調査の手が入ったこともある。ところが実際に当事者が裁かれたことはほとんどないのだ。


さて、この本がより重要な意味を持つのは過去の事実を知ること以上に、現在及び未来に関してである。上記のようにアメリカ軍は常態化していた犯罪行為を裁くことはなかった。問題はそこから現在の間は切れ目なく継続してしまっているのか否か、はっきり言えば虐待体質が続いているのか否かである。

イラク戦争などでも、捕虜に対する虐待などが行われたことが明るみに出たことは、記憶に新しい。その内容はベトナムで行われたことと大差ない。ベトナム戦争の時代から連綿と受け継がれてきた、習慣的な行為と受け取られてもしょうがない。本書の初めにも描かれている通り、戦地に赴く兵隊は躊躇なく人を殺せるように徹底して殺人マシンに改造される。また、徹底して人種差別、それに性差別も吹き込まれた(例えば「陸軍の徴募兵だったティム・オブライエンは‥‥『女は馬鹿だ。女は悪だ。共産主義者黄色人種と変わらない』というメッセージを吹き込まれたと書いている」)。

だが、そういうことが可能なら、逆に訓練によって徹底してジュネーブ条約などの遵守をもたたき込むことも可能なはずだ。だから、もしベトナム戦争からの教訓を真に生かしているなら、ジュネーブ条約などに反する虐待などの行為も、徹底して排除できるはずである。だが沖縄の現状を見てもそうであるように、実際はそうではない。そこから逆に推測すれば、現在もベトナム戦争の教訓は生かされていない、つまり依然として米軍の体質はベトナム戦争当時と大差ないのかもしれないと疑わざるを得ない。
そして、そのことは我々日本人にも直接関係がある。ベトナム戦争当時、その中継基地であったのが沖縄だ。そして現在、ベトナム戦争は過去の話になってしまったが、沖縄の基地は依然存続し続けている。

一方、アメリカではベトナム戦争後、多くの帰還兵がPTSDに悩まされ続けてきた。だが、皮肉な見方をすれば、PTSDになるだけの良心を保っていた人はまだよい。むしろ良心の呵責もなく、平然とその後も生き続けている人が多くいる、ということに戦慄を覚える。実際、ボディカウントを異常に多く稼いだある兵士はそのまま軍に所属し続けたし、あるいは上記したコリン・パウエル(彼が直接ボディカウントを稼いだわけではないと思うが)のように、政界・経済界で中枢を担っているような人も多くいるはずだ。

この本はベトナム戦争の本質を明確にするものだが、現代史を考える上でも、あるいはまた日本の将来、例えばどんな政権を選択するべきかを考える上でも、また憲法を考える上でも、沖縄戦に関する様々な書物とともに、必読の書としてお勧めする。少なくとも、いったい我々の『自衛隊』軍がそこに組み込まれようとしている、アメリカ軍とはどんなものであるのかを十分に知るための、最重要資料といってよい。ベトナム戦争における韓国軍のことも記されているのだが、これも大いに参考になるはずだ。

最後にもう一言。ベトナム戦争当時、アメリカばかりでなく日本も含めた世界中でベトナム反戦運動に非常に多くの人々が参加していた。それによって世界中の連帯も生まれていた。そして、世界中の人々がベトナムで何が行われているのかということを、注視していたはずなのだ。さらには戦争終結後にも、様々な形での本質追究への試みも多かったはずだ。にも関わらず、その本質はこれまで知られてこなかった、ということになる。歴史の本質を知ることがいかに簡単なことではないかを改めて思う。

著者についても簡単に書いておこう。この本執筆のきっかけとなったベトナム戦争犯罪作業部会の記録文書を発見した当時は、社会医学専攻の大学院生だった。1975年、つまりベトナム戦争終結後の生まれ。ジャーナリストとして、本書以外にもアフガニスタンの問題などに関する著書などがある。