『日本林業を立て直す 速水林業の挑戦』を読んで

日本林業を立て直す 速水林業の挑戦』
著者:速水 亨  発行:日本経済新聞社 2012/8/22

著者の速水氏は生家の林業を継ぎ、日本の林業家としては先進的な林業経営に取り組んでいる人だ。日本で初めてFSC(※)の認証を取得するなど、生態系のなかで真に持続可能な林業がどのようなものであるかを実践を通して考えている。


さて、数十年来ノー政と言われ続けて、根本的には無策のまま放置され続けてきたのが日本の農業で…というのはまあまあ多くの日本人が知っている話だろう。それでも放置され続け、超高齢者農業となっているのが日本の農業及び農政の実態だが、それより遥かにほったらかしになっているのが林業だ。

省の名称としても農林水産省というものがあって、林業が一つの大きな行政上の範疇でもあることがわかる。実際国土の66.6%は森林なのだから。それを相手になりわいをしているのが林業ということになるが、近年の林業家の平均年収はわずか26万円に過ぎないという。まったく生業(なりわい)として成り立っていない。そんなことを知っている人はごくわずかだろうし、関心のある人も少ないのだろう。生活上で関わることは、まあハイキングに行くくらいで、ことに東京近辺の人は山が遠いので目に入ることすら少ないに違いない。マスコミもあまり取り上げないので、知らなくてもしょうがないかもしれない(山の風景は映っても、森林の実態といったものまではわからない)。しかし政治家ともなれば話は別で、なにしろ国土の3分の2に関わる話である。よく知っていてもらわなくてはならないはずだが、まあ知っていてこの状態なら全くの職務怠慢(どころの話ではないが)、実際はあまり分かっていないというのが実態らしい。


政治家はともかく、ある程度森林に関わりのある人の中にも、漠然と針葉樹の植林よりも広葉樹林の方が「良い森」というイメージがありそうだが、著者の速水氏はそれは誤解だという。事実、速水林業所有の森林で見つかった植物種数を比較すると、広葉樹中心の保護林で185種、ヒノキ人工林では243種が確認されている。良い管理がされた人工林は自然林以上に豊かな生態系を育むことが可能ということだ。もっとも「命の集合体の森」という観点から事業に取り組んでいる速水林業の森だからではあるが。

ついでに言えば、本書でも触れられているが、一般に豊かな森の代表のように思われているブナだが、ブナの純林にはブナ以外の植物はあまり見あたらない。私自身、たしか福井県だったと思うが、ブナの純林を歩いたとき、すでに葉を落としていた時期ではあったが、全く見通しがよく林内のどこでも歩きやすかったことを覚えている。ブナの場合はアレロパシーがあり、林床に他の植物が生えにくいのだ。決してブナだから豊かな生態系、というものではない。


日本列島の歴史のなかでも、現在ほど森林資源(ここでは材となる樹木)に恵まれている時代はない(これについては他の書評を書く予定)。にも関わらず数十年来、日本の木材自給率は30%以下で推移し、近年は総需要が減少し、さらに国産材の利用が減っている。自給率が持ち直さないのは、ひとえに価格の問題だが、北欧などのきちんとした管理の下で、持続可能な林業を営んでいる地域からの輸入ならまだよいが、それ以外の地域では多かれ少なかれ収奪的な林業が行われていることが多い。合法的であっても生態系への影響や元来その森林のよって生きてきた人たちへの人権侵害などの問題の多い外国産材だが、現状の法律の範囲でも違法である材木が二割は含まれているという。安いからと使っているコピー用紙なども、違法伐採された材が原料である可能性が高い。


ずいぶん以前になるが、シベリアの永久凍土地帯にあるタイガの森林伐採の様子がテレビで報告されていた。従来なら一本一本 十分な太さのある木だけを選んで伐採していたものが、大量の取引があるからと重機で一帯の樹木をなぎ倒すように伐採する。そんなやり方をすれば、次の世代の樹木が育たないことはもちろんだが、凍土層に太陽光が直接当たるようになる。すると永久凍土とはいえ、融解し始める。いったん融解すると不可逆的に融解は進んでしまう。永久凍土は単なる水ではなく、メタンを大量に含む。それが大気中に放出される。メタンは強力な温暖化ガスなのだ。そんな伐採のやり方はそれ以外にも、様々な悪影響を及ぼす。(参考 http://www.foejapan.org/siberia/index.html

そして、その木材の輸出先は主に日本なのだ。違法な木材を輸入することは、現在も日本人がそういうやり方を認めているということになってしまう。


世界の森林の状況を見たとき、日本人が日本の木材を利用しないのは罪悪にも等しいのかもしれない。そんな状況を可能な限り改善するために、まずは林業に関心を持つのが日本人としての責任とも言えるのではないか。殊に政治家には十分な理解が求められる。そのためにもこういう本がもっと読まれるべきだ。


(※)1993年、WWF世界自然保護基金)などの環境団体や林業者、木材取引企業、先住民団体などによって組織された非営利の国際団体。FSCの森林認証は、「環境保全の点から見て適切で、社会的な利益にかない、経済的にも持続可能な森林管理」を推進することを目的とし、認証された森林から出された木材・木材製品にロゴマークを付けて流通させる。

『殺す理由 なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか』を読む

『殺す理由 なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか
原題:Reasons to kill : why Americans choose war
著者:Rubenstein, Richard E.
出版社:紀伊國屋書店
 
 まず次の一文を読んでほしい。この文章は本書p254で引用されている「平素は適正な判断を下すという評判の」アメリカ合衆国前司法長官、マイケル・B・ムカジーイスラム過激派に関するコメントである。
 
 「イスラム過激派との闘争はアメリカがこれまでに遂行してきたいかなる戦争とも似ていない。ウサーマ・ビン・ラーディンとその同類の輩は、アメリカ政府が国民の安全を保証できないことを明らかにしようと目論んでいる。彼らはアメリカ人をイスラーム世界から撤退させようと策動し、人間の行動を律するのは彼らのいわゆる神の法ではなく人間であるという理念を我々に放棄させようと画策してきた。彼らの行動を駆りたてているのは、ささいな不満でも貧困でもない。」
 
 この本の著者、リチャード・ルーベンスタインは「この手の粗雑な誤解に基づいて合理的な自衛戦略を構築することは不可能だ」と断じているのだが…。
 上の一文を読んで、リチャードの言うように「粗雑な誤解」とは思えなかった人は、ぜひこの本を読んでほしい。とは言っても、この本はアル・カーイダの解説書ではない。だから、この一文がどう粗雑なのかが直接わかるわけではない。
リチャードはジョージ・メイソン大学教授で、国際紛争解決を専門とし、実務にも携わってきた。この本の多くのページを割いてまず述べられているのは、アメリカ人がどのように、いかなる論拠で、政府が戦争を行うことを容認し、あるいは積極的に支持してきたか、ということである。
ただし、アメリカ人の多くが好戦的だ、というのでは決してない。むしろたいていの場合、初めのうち国民は否定的なのだ。そしてまた、戦後にはその戦争の論拠が欺瞞であったことが明らかとなり、批判が起こることも多かったようだ。それでも事実として、アメリカが建国以来戦ってきた戦争は意外なほど多く、ことに第二次世界大戦後、世界中でおそらくもっとも多くの戦争をしてきた国だ(*)。そうした戦争の度にいくつかの典型的な戦争肯定の理由(或いは論理)が語られてきた。それらの中には(人にもよるだろうが)すぐにおかしいと思えるものもあるが、一見もっともらしい理由もある。リチャードは、その何れもが破綻することを、あるいは欺瞞であることを、実例を踏まえつつ明快に示している。
彼は最終的に、本質的な紛争解決の道は一つしかないことを示す(それは、当然それしかない、という道だ)。そしてその道を進めば、ほとんどすべての戦争は回避できるし、紛争の根本的解決に向かう(実際にそのような活動が行われ、実績をあげている)。そこでは粗雑な誤解も生まれないはずだ。
同じアメリカ人でも、すぐに戦争をしたがる人間もいれば、その無意味さを示し全く別の解決方法を探求している人もいることに、少しホッとする。
 
(*)建国以来250以上の軍事行動を起こしている。そのうちアメリカの国土が戦場になったことは三回しかない。一回は独立後すぐのイギリスとの戦争、一回は南北戦争、つまり内戦で、最後の一回がパールハーバー。このことからわかるように、ことに第二次世界大戦後の軍事行動はアメリカ側が攻撃されて始まったことは(テロを除く)一回もない、つまり常にアメリカ側から攻撃を開始しているのだ。そんな国と日本の政府は同盟関係にあると言っていることを想起しよう。

『バリアフリー・コンフリクト 争われる身体と共生のゆくえ』を読む

バリアフリー・コンフリクト 争われる身体と共生のゆくえ』
編:中村賢龍、福島 智 著者は障害当事者を含む13名
発行所:東京大学出版会 2012年8月31日
 
駅には必ずエレベーターが設置され、道には点字ブロック、家に入れば段差がない、そして車椅子の人や白杖を持った人が当たり前に街に出歩いている、などなど近頃はバリアフリーという言葉を忘れそうなほどバリアフリーの考え方が浸透したかのように見える。いや、しかしよく考えてみると、浸透したというより少しバリアが減って目につかなくなっただけかもしれない。むしろ我々はそのことによって関心を薄めてしまっているのではないか。こう書いたからといって、この本がまだまだバリアフリーは不十分だ、という主張をしているわけではない(そういう思いはあるかもしれないが、少なくともそれが主題ではない)。
「コンフリクト」は「衝突」とか「対立」という意味だが、この本ではバリアフリーが内在させていたり、または結果的に新たに生じたり、あるいはバリアフリーに対する考え方、進め方などにおける、(あまり健常者が気づくことは少ないであろう)コンフリクトについて書かれている。そのコンフリクトは障害者と健常者の間に起こることもあれば、障害者同士に起こることもある(健常者と健常者の間に起こることもあるかもしれない)。
分かりやすい例を挙げれば、点字ブロックが整備されたことで視覚障害者にとっては少しバリアが減ったが、車椅子やベビーカー、貨物用台車の移動に少しじゃまになる、といったことだ。これなどは当事者でなくても分かりやすいコンフリクトだが、人工内耳が“聾文化”を破壊するとして人工内耳を否定しようとする聴覚障害者もいる、という話は健聴者にとっては、人工内耳をよく知らないだろうし、中途半端に聞こえるより(完全とは言えないまでも技術の進歩でかなり有効性が高まっているそうなのだが)あえて音が聞こえない文化を維持しようという考え方も、簡単に理解できるものではないかもしれない。
どこがどのように障害されているかによって、起こるコンフリクトも各様なのだが、結局のところ健常者から障害者までの間は連続的であるのに(と私は考えている)、例えば○○障害者という括りで捉えて形式的に対処するとすればそれがコンフリクトを大きくする因子になるということもあろう。(むろんコンフリクトはどんな人の間にも起こるもので、そこに障害者固有の要素が加わっているだけのことなのだ。)
連続的であるものを分けようとすることで現れることが明快に分かる問題の例が障害者雇用だ。障害者雇用促進法によって企業にも公的機関にも一定率の障害者雇用が義務づけられている。雇用に関する問題もさまざまあるのだが、ここでは連続性の観点だけから考える。率を達成していればインセンティブの調整金が、していなければペナルティーの納付金が課されている。その率はヨーロッパ諸国と比べて低く、達成されたとしても多くの障害者は仕事に就けないのだが、それすら達成していない企業が多い。教育委員会が未達成が非常に多いというあきれた実態も話題になった。それはともかく、ここでの問題は、雇う側としては同じ障害者でも極力優秀な(場合によっては都合のよい)人を雇おうとする、ということだ。当然といえば当然のことなのだが、そうするとより重度な人は雇われなくなる。そこで重度障害者を雇用すると二人分とする「ダブルカウント」という仕組みがある。
 しかし、これもまた重度の中でも比較的軽度であるとか、知能的に優秀な人であるとかを雇おうとすることになるわけだ。結局より重度の人は雇われないし、またぎりぎり重度判定を受けなかった人も雇われない。
連続性、という観点で述べたけれど、結局それは競争社会と公平性、平等性という根本的な矛盾の表れであるとも見える。この本で語られる具体例の多くも、基本的にはこの問題が大きな要素となっているように思う。
ちょっとこの本の捉え方としては一面的な記述になったきらいがあるが、それはあくまで私の捉え方で、この本自体はなんらかの結論的なことを述べているわけではなく、コンフリクトという面から幅広く障害者の現在進行中の諸問題を述べている。バリアフリー問題を扱うだけに誰にも分かりやすく述べており、専門家や福祉関係者ばかりではなく多くの一般市民に是非一読してほしい内容だ。コラムが多くあって、なじみのない事項についても分かるようになっている。
 
ところで上記の文脈とは関係ないが、執筆者の一人、東京大学先端科学技術センター教授の中邑氏の経験に基づく次の記述は、とくに知的障害者の見方に再考を迫る話なのでここだけは引用して紹介しておきたい。
「…KさんはIQ60で知的障害と診断された女性である。対面では人と上手に話すことができず、漢字交じりの文章を上手に書くこともできない。そんな彼女がある日、携帯電話から、私に以下のようなメールを送ってきた。
 
さっきは、先生に対してきついことを言っていたらごめんなさい。皆で話をしていると、自分の中でコントロールできなくなっちゃうんです。それと、先生の顔を見ながら話をするのが苦手なうえ、恥ずかしいのが事実です。少し目をそらせば話は普通にできるのですよ。これはある意味障害のせいですか?
 
このメールを読んだ私は驚き、彼女に対し、メールでこれだけの文章が書けるのに、なぜ人と対面で話すことができないのかとたずねた。すると彼女は「話をしていて、その場で難しいことばが出て来ると、考えているうちに話の流れが分からなくなってしまう」「メールはゆっくり考えて人に伝えたり聞いたりできるので楽しい」「私でも漢字変換ソフトがあれば漢字を使うことができる」と答えた。…」
 

先日書いた『評伝 ジャン・デュビュッフェ』に関連して、もう少し

 デュビュッフェは多筆だったらしいが、文章を多く書いたといえば岡本太郎を思い出す。数十冊の著作がある中で、ずいぶん昔の本を読んだことがあるが、非常に論理的な文章で分かりやすく、内容的にも共感を覚えた。当時の政治・社会状況に対する痛烈な批判があるかと思えば、例の縄文土器のことや、琉球文化のダイナミズムについても触れていた。
 岡本太郎ジャン・デュビュッフェと関係があったか否か不詳だが、活躍した時代は重なるし、“徹底”と“爆発”の突出した人物像、それにデュビュッフェがアートの原初的な姿を求めてアルジェリアに行き、トゥアレグの民と生活を共にしたことなども太郎の沖縄行きなどと共通するものがある。代表作「太陽の塔」は、デュビュッフェの死後パリ郊外のサンジェルマン島に完成した立体作品と、内部空間に入ることができるという点でも共通する(大きさは少し小さく、また内部には特に何もないそうではあるが)。
 そうそう、たしか岡本太郎もピアノを弾いたのではなかったか。そして何より作品が、色づかいなどに共通性があるように思える。もちろん違いの方も大きいのは当たり前で、とくに表現手法についてはデュビュッフェは極めて独創的な手法を自ら考え出し、壊れやすいなどの未完成な手法であろうと構わず、制作しながら修整していくということをやっていたようだ(太陽の塔などは当時の建築術の粋を集めて造ってあるはず。なにせ万国博覧会のシンボルだから)。
 フランス留学もしていた岡本太郎だから、どこかで実際に接点があったかもしれない。

『評伝 ジャン・デュビュッフェ アール・ブリュットの探求者』(末長照和著 青土社刊)を読む

 「要するにこの〈アール・ブリュット〉は人目につかないように望んでいるのです…」。1965年、すでに画家として世界的にも認められ、どころか当時の大物アーティスト、それも世界最高レベルの、となっていた画家が、彼自身の言い出したアール・ブリュットの展覧会を開きたいと手紙をよこした、その件では恩人ともいえる精神科医に宛てた返事である。
 アール・ブリュット、あるいはアウトサイダーアートという言葉を知ってはいても、その言葉を考え、作品を収集し、自らの資金で協会まで作りその考えを普及させようとしたジャン・デュビュッフェは、日本では一般にはあまり知られていない。私自身もこの本を読むまでは名前は認識していても、作品と結びついていなかった。小さな図版を見て、ああ、あれかと気づいた、という程度なのだ。
 だが、少なくともフランスでは(おそらく欧米全般でも)20世紀後半における最大級のアーティストである。なにしろグーグルアースで彼の作品が見えるのだ(セーヌ川がパリ市をでてすぐのところにあるサンジェルマン島を見れば分かる)。そんな作家はそうはいないだろう。しかも、本来は平面が主体の作家であるにもかかわらず。
 この本の主題は大きくは二つ、一つはデュビュッフェの生涯を客観的に通覧すること、そしてもう一つがアール・ブリュットとはなんなのか、少なくともデュビュッフェにとって。そして究極的には、それを通じてアートとはなんなのか、を考えることになるのだと思う。
 私自身の経験と思考から、アール・ブリュットという言葉には曖昧な面があり、というより明瞭な輪郭をもたない言葉だと認識してきたが、デュビュッフェ自身、生涯その混乱を解消できなかったことの表れが没頭に示した言葉だ。結局アール・ブリュットが何を意味するのか(まずはデュビュッフェにとって)は、というよりは何を意味することが可能なのかは、おそらくこの本を読んだ人にはかなり明瞭になると思う。
 デュビュッフェ自身、その混乱を意識していたとは思われる。そのせいもあってか、彼は文章も多く残しているらしい。デュビュッフェの文章はほとんど邦訳されていないようだが、彼自身さまざまな読書をし、よく考えたことは確かなようだ。そして、かなりストレートに同時代のアートに対する批判を表明していた。アンフォルメル(「不定形」と日本語には訳されているが、「非公認」というのが正しいようだ)という言葉で、他の同時代の作家と一括されようとしたときも、はっきり拒絶している。この定義の曖昧な言葉を言い出したのは美術批評家のミシェル・タピエだが、彼に対しては激しい抗議の手紙を書いている。だが、他者の作った曖昧な言葉にははっきり意見しても、自分の作った曖昧な言葉にはどうであったのか。
 彼のはっきりした体制側(タピエもその一人だったのだろう)、権力側の人間に対する批判(的を射ているか否かは別として)は容赦ない。彼のアートに理解を示していた人物であっても、その人が政府機関(美術館長でも、それが国立であれば)内にいれば、徹底して嫌悪する。そんな意味でも、同時代作家の中では(現在で考えれば一層)抜きん出た存在だったようだ。そしてその嫌悪、批判の底にあるものこそが、彼の目指した、そして本当の芸術だと考えた、本来のアール・ブリュットなのだと思う。
 いずれにせよ、デュビュッフェは徹底した。徹底して「本来のアート」を追求し、休むひまなくそれに向けて考え、そして実際に制作した(フランス人でありながらバカンスに赴くこともなく、生涯で一万点以上の作品を創った)。内なる矛盾にも半ば気づき、徹底してそれに対峙しようとしたからこそ、考え続け、制作し続けたのだと思える。そして我々自身がアートとは何かと考えたときにも、それは通らなければならない道程なのに違いない。
 資料が日本にはほとんどないであろうデュビュッフェのことを、あたう限りの資料(もちろんフランスなどにある手紙などを含む原資料)を読み込んでの著作のようで、たいへんな労作であると言えると思う。事実を淡々と追いながら、生涯にわたる想念の遍歴に思いを巡らせて、理解の難しそうな画家の内面をできる限り明快に表現している。アール・ブリュットに関心のある人にとどまらず、アートを考えようとする全ての人に読んで貰いたい本だ。

考えるべき事、多いなあ、その一

『アマチュア森林学のすすめ ブナの森への招待』という本を読んだ。
ブナの森への招待という副題どおり、森林に関する様々な話題を、おもに落葉広葉樹林の生態系を具体例として解説している。とはいえ網羅的なものではなく、著者の関心に沿って、要所要所で少し突っ込んだ話題を扱っている。
こんな話があった。アカマツの葉を食べるマツノミドリハバチというハチがいる。それが、日本に植栽されたアメリカ産のストローブマツに大繁殖した。アカマツでは孵化後7割ほどが死んでしまうが、ストローブマツではほとんどが成長したのである。その結果、ストローブマツは丸裸になり枯死してしまった。
「最良の食べ物が、種族の繁栄にとって、必ずしも最適のものにはならない」
こういう例は他にも多くある(ひょっとするとほとんどがそうかも?)。人間も‥‥、と皮肉な感想(!)も聞こえそうだが、それより、私の昔からの疑問の一つなのだが、そもそも人間は何を食べていたのか?と思う。歯の形状などから雑食性といえばそうなのだろうけれど、マツノミドリハバチにとってのアカマツのようなものが、なかったのだろうか?
ところで次の記述を人間に当てはめると、人間は考えておかなければならないことがたくさんあることが分かる。
アカマツでの高い死亡率はアカマツの抵抗の表れ。ハバチにとって最適のえさではないが、それによって虚弱な固体が淘汰され、個体群の質と数が適切に維持される。」
人間は上記のような意味では、自然には生きていない。極めて大雑把に言うと、自律的な調整メカニズムが働いている部分と、そうではない部分とが(極めて多くの要素がその中間にあるのだろう)、錯綜している、というのが人間の世界だと思われる。自律性がない部分は意識的にメカニズム(様々な意味での)を構築しなければならない。
最後にあとがきに書かれていたことについて少し。
著者の専門は森林昆虫学、本来は林業上の害虫についての研究をする分野とのことだ。だが、本書を読んでいても分かることだが、当該の虫のことだけを研究してもその虫がどれほどの害を与え、そしてその防除をどうすればよいのかなどについて、確かな答えは見いだせない。結局森林のこと全般を視野に入れねばならなくなるのだが、森林の全体像に迫ろうとすると、そこには数多の専門分野が現れる。それぞれの研究が深化しており(それ自体は良いことだ)、専門領域以外では一介のアマチュアに過ぎないのだという。ただ、逆にアマチュアだからこそ、より正確な森林像を把握できるのではないか、と言うのだ。今や、森林についての専門家、というものは存在しない。森林についての研究の総体は、あまりにも膨大なのだ(生物学系統ばかりでなく、地学や物理・化学から森林経済学などの社会科学系統まで、と著者は書いていたが、私なら医学や、芸術、文学までと言うところだ。さらには観光や教育だって直接関係する)。だからこそ、アマチュア森林学のすすめ、なのだ。入り口はどこでも自分の興味のあるところから入ればよい。どこから入ったにせよ、それが森全体とのつながりの中でこそ、そのように存在していることがいずれ分かるだろう。そしてアマチュアだからこそ、一点にとらわれず、全体を見通すようになるだろうし、そう期待しいてる、ということなのだ。日本に暮らす人々にとって、いや世界中の人々にとってなくてはならない森林だが、その重要性に比して関心は低いのかもしれない。もっと、アマチュアこそが広く関心をもってほしい、ということなのだろう。

“反”エコの象徴

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 全国で見られるストップした風車が、ここ沖縄の北谷にもあった。設置者は、確か地元自治体と書いていたと思うが、管理はNTT関連の会社のように書いていた。
 かつて、環境問題に早くから取り組んでいた人たちのあいだでは、日本に風車が不向きであることは常識だった。安定的に風が吹かないし、吹けば台風のような暴風となり、ストップするどころか、壊れてしまう。至る所に人が住んでいる日本では、設置する場所も限られている。渡り鳥も多く飛来する。そんなこんな理由から、日本での普及は否定的に考えられていたのだ。
 それが、エコをしている気分になれるからか、気づけばいつの間にかあちこちに、ほとんど改良することもないまま、大きな風車が見られるようになった。といっても、本格的に電力をまかなえるほど大規模に立ち並んでいるようなところはなく、まったくエコしてますよというシンボル扱い。そんなものが実際の役に立つはずもなく、至る所で朽ちている、という現状だ。
 日本では、海流による発電が量的にも、環境に対する負荷的にももっとも適合しているはず。技術はまだ確立していないと思うが、研究すればきっと可能になるはずだ。