■
アラブの春はどこへいった?
前回の記事からずいぶん時がたち、例年ならまだまだ冬という時期だけど、今年はもうほんとに春な感じ。
ところで、アラブの春という言葉、もうすっかり忘れられたかもしれない。かつて春が来たかに見えたほとんどの国は、その後むしろ一層混迷を深めてきたように思える。そもそも春が来もしなかった国もある。さらには各国の関係も大きく変化し、おかげでイスラエルが漁夫の利というか、少なくともイスラエルにとっての脅威はかなり軽減したらしい。
唯一、一応の民主化を果たしたのは、アラブの春の端緒となったチュニジアだけだ。2011年1月、日本の東北で大地震が起こるちょっと前にアフリカのチュニジアでは革命が起こった、ということになっている。ちょうどそのころチュニジアにいた人が二人、一人は在チュニジア日本大使、ひとりはJICAのシニアボランティアという立場から本を書いている。ちょっと前の本だが紹介したい。
大使であった多賀氏は現場で接したチュニジア革命の実相を、ボランティアで大学の日本語教師をしていた守能氏は教員生活を通して接したリアルなチュニジアの日常風景を活写している。私は三十数年前の春の初めから秋の初めまで、チュニジアで生活したことがある。それだけに私には二人の書いていることがとてもリアルに感じられた。地名、それに建物の名前でさえ、忘れられないイメージの中にあるものが次々に登場するのだ。
とは言っても、ほぼ四半世紀の隔たりがある。人口は700万人から1000万人に増えていた。経済的にも発展があり、大学進学率が37%というのは私にはちょっと驚きの数字だった。実は私はJICAのボランティアに友人がいて、首都のチュニスで彼の厄介になっていた(だから約半年もの長期間滞在できた)。守能氏と同じく彼も科学技術系の大学の職員として仕事をしていたのだが、当時聞いたこともない新しい大学の名前がいくつも出てくる。
『「アラブの春」のチュニジアで おおらかな人と社会』守能信次著、2015年風媒社刊
この本を読んで懐かしい様々なこと、モノ、風景などがよみがえった一方、時間の流れも実感した。変化を最もリアルに感じたのは、TGMという鉄道の話だ。SNCFTという文字通りの国鉄に対して、TGMというのは日本でいえば私鉄のイメージか。チュニスから北に向かい、歴史上も有名なカルタゴを経由し、高級住宅街に至る、まあ郊外電車といった感じの短距離の鉄道だ。私のいたころはまだ車両も最新とはいえないまでも小ぎれいで、観光客もよく利用する便利な路線、という印象だった。
それが守能氏によると、車両や駅舎はボロボロで落書きだらけ、子供が危険な乗り方をしても注意する駅員が、そもそもホームにはおらず、荒れたイメージで観光客の姿もほとんどないという。
高級住宅街の住人たちは自家用車を使うようになり、低所得者のみがこの路線を利用している、というところはチュニジア革命の底流にもつながる話だ。経済の発展は貧富の格差の増大となって表れたわけだ(世界中どこへ行ってもこういうことになりがちだが、関連してカリブ海の国ハイチに関する本についても記事を書く予定)。私も散々聞いたチュニジア人の自尊心の強さは、そうした貧富の差を富者にはあまり意識させない方向に働くのだろうか。守能氏の描くチュニジアの姿は革命後のチュニジアなのだが。
革命という言葉が使われてはいるが、実際には貧者と富者が一気に入れ替わってしまった、といったことはほとんどないようだ。守能氏は実は革命の2日前にチュニジアに到着、革命のため一旦退避し、4月に再びチュニジアにやってくるが、予定されていた通りの業務に着任している。つまり国立の大学はそのまま業務を継続している。政治家は入れ替わったが、社会全体としてみればそう大きく上下が入れ替わったりはしていないのだ。
大きな変化としては、独裁色を一層強めて自身及び妻の一族の汚職や腐敗を放任してきたベン・アリ大統領の失脚はたしかにあったことで、その後民主的に憲法が改められ、一応民主制の体裁は整えられた。だが、例えば日本は本当に民主主義国家といえるのか、といった疑問が今もって消えないように(少なくとも私には疑問だ)、民主主義は一夜にして成し遂げられるものではない。
そういった革命の実態を、大使という立場でその渦中の視点から描いたのが多賀敏行氏だ。
『「アラブの春」とは一体何であったのか 』多賀敏行著、2018年臨川書店刊
多賀氏は基本的には、歴史には必然ということはなく偶然の重なりに過ぎないという考えの人だ。歴史に必然性があるか否かは多くの議論がある難問だ。ただ、チュニジアの革命に関しては、いくつかの偶然が重ならなければ起こりえなかったことだ、という多賀氏の考えは説得力がある。それは上記したように、制度的に民主化し、政治家の入れ替わりはあったものの、社会全体を見ればそう大きく変わったわけではないらしいことからも納得いく話だ。
ウィキペディアのジャスミン革命の記事は出典のほとんどが2011年になっているので、その後ほとんど更新されていないようだが、本書で書かれていることが正しいとすれば改訂される必要のある個所がいくつかある。主要な点はジャスミン革命の発端となった事件、それにベン・アリ元大統領の出国の経緯で、確かにそれが多賀氏の記述通りなのであれば、いわゆるジャスミン革命が歴史的必然として起こったというより、かなり偶発的な面もあったということになると思う。
そしてこのチュニジアの革命がなければ、おそらく先日亡くなったムバラクは大統領として死んでいたかもしれなく、カダフィもいまだに健在だった可能性が高い。さらにはアラブ各国が今後イスラエルの存在を認めることになるとすれば、とてもローカルな偶然が、世界の歴史を大きく変えたということになるかもしれない(ただ、私は歴史が全く偶然的だとは考えていない。関連して『政治の衰退』という本のことも書くつもり)。
本書は朝日新聞の付録、GLOBEでも取り上げられたことがあり、現在もその内容は読むことができる。内容は当時の本人の手記や関係するウィキリークスの記述などをまとめたもので、問題のポイントは何度か繰り返し記述されており、わかりやすいしすぐに読めてしまう。歴史学やアラブの現状に関心のある方はぜひどうぞ。
温暖化と中村哲医師
radikoのタイムシフトで昨年12月30日分、2019年最後のJET STREAMを聞いた。いつも通り、比較的穏やかで落ち着いた大人向けな音楽が続く。番組の後半で突然「100年に一度、観測史上にない、今年は何度この言葉を聞いたことでしょう‥‥」と大沢たかお氏の、これまたとてもとても穏やかな声で、急激な温暖化という社会(環境、政治)問題について語り出した。
そして「今年は最後に‥‥中村哲医師が西日本新聞のコラムに書かれた言葉を少しだけ紹介して終えたいと思います」と言う。60年代、70年代のラジオ深夜放送ならいくらでも政治的発言や社会問題についての発言はあっただろうが、この番組の2019年最後の言葉としてというのは、かなり驚いた。
「巨大都市カブールでは、上流層の間で東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、かすみのように街路を覆う排ガス、人権は叫ばれても、街路にうずくまる行き倒れや流民達への暖かい視線は薄れた。泡立つカブール川は汚れ、もはや川とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。国土を顧みぬ無責任な主張、華やかな消費生活へのあこがれ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ、終末的な世相の中でアフガニスタンは何を啓示するのか。見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化の更に彼方を見つめる。」
続いて、トム・ウェイツの“グッド オールド ワールド”が流れた。
JET STREAMといえばご存知の通り、某国(元?)ナショナルフラッグつまり航空会社の数十年来の、ほとんど宣伝用(単にコマーシャルが流れるだけでなく、内容までもが)の番組だ(よね)。
温暖化問題に関する言葉として中村哲さんの言葉を取り上げたこと自体はもちろんだが、この番組で朗読されたことにとても意味があるような気がしたのだが。
最近やり出した金継ぎのこと、それと金継ぎに関する本のことなどを
二十年位前(もっと前かも)、お気に入りの絵皿を割ってしまった。南欧風な感じのデザインで、うちの一番大きな皿でもあった。陶磁器というのは気に入ったものほど割ってしまうもので、たいした値段のものではないが意匠にこだわって探して買い求めたものもよく割ってしまった。接着剤でくっついたとしても使い物にはならないだろうし、残念な気持ちで捨ててきた。でもその時は何とかならないかと思い調べてみたら、漆で接着できるらしい。釣り道具の修理に漆を使うらしく、その漆で陶磁器も修理できる、というようなことだった。それで漆は釣り道具店に売っているとのことで、行ってみると実際チューブ入りの漆を買うことができた。
その頃より前だと金継ぎに関する情報はごく限られていたはずで、金継ぎ手引き的な本を大阪市立図書館で検索した中では1998年発行のものが一番古く、他は全部2010年代のものだった。そんな、何の情報もない中で金継ぎ技術を身につけるために随分往生しなければならなかった話が次の本に出てくる。
『古今東西陶磁器の修理うけおいます』甲斐美都里著、中央公論新社2002/4
著者は京都の高校生の頃から骨董に目覚め、とはいえ随分年齢がいってから金継ぎの修行を始めた。まだ素人が金継ぎをするということは皆無の頃だ。ちょっと前まではそんな状況だったのだ。
それで話を元に戻すと、私にもそれ以上の何の情報もなかった。本当にうまく付くのか、どの程度の強度があるのか、料理を盛りつけても大丈夫なのか、など分からないことばかりだったが、とにかく普通の接着剤のように(チューブ入りなので普通に接着剤っぽく見えた)直接漆を割れた皿に塗りつけひっつけてみた。本当なら漆を乾燥、というか硬化させるためには室に入れて湿気を与えねばならない。が、そんなことも知らず、ただ放置しておいただけなのに一日経つと意外にしっかりくっついているではないか。ただ、はみ出した漆の色が褐色で、絵皿としては残念な仕上がりとなった。オーブンで使える皿だったが、もちろんオーブンで使う訳にはいかない。強度的にもどの程度のものか分からないので、一応付くには付いたが、ほとんど使うことなく結局食器棚の奥にしまいっぱなしということになった。
それから時を経て、金継ぎという言葉も知ったが、金を使うほど値打ちのある器がある訳でもない。だが、少し端が欠けたがまあ使えないでもない、というものが増えてきた。使えなくもないが、うっかり唇を切らないとも限らない。なんか方法はないか、とたまたま図書館で金継ぎの本を手に取ってみた。
すると、日常的な器でも金継ぎで補修している。ちょっと読んでみると、接着や欠けを埋めるのには漆に砥の粉を混ぜたものを使うとのこと。うちにあるじゃない、両方とも。そして金粉はあくまで仕上げの、見栄えをよくするためのもの。モノによっては銀粉、銅粉、錫粉などを使うこともあるし、漆仕上げにしても構わない。考えてみたら、漆器は全面漆なんだから。上記の本は具体的なやり方は書いていないので、別に金継ぎの手ほどきの実用書を借りた。
帰って、まずは本に一通り目を通し、食器棚から欠けたりひびが入ったりした器を選り分けてみる。思っていた以上にたくさんあった。ラッキー、というのも変だが、練習台に事欠かないということだ。
だが、さっそく始める、という訳にはいかなかった。仕上げをどうするか。金粉を使うほどのものは一つもない。錫粉とかでもいいんだけど、まあ手間もかからず一番安くつく黒漆仕上げが良さそうだ。黒ならどんな器にでもなじみやすそうだし。
で、ネットで漆を検索。チューブ入りのものもいろいろあるが、たいてい量が多すぎる。普通の塗料よりはかなり高い。ABCクラフトか東急ハンズなら少量のものが売ってるんじゃないかと思い、まずはABCクラフトに行ってみた。さすがに様々な工芸の材料や道具が並んでいる。工芸用の塗料も各種あるのだが、漆だけは見あたらない。本を見ていると、結構金継ぎ教室みたいなのもあるようなのだが、まだ商売になるほどじゃないのか。それともみんなネットで買うからか。ネットが一般化してからやり出した人がほとんどだろうからね。これは東急ハンズも怪しい。この頃のハンズは美術家が材料買うというより、ちょっと変わった完成品を売る店的な感じが強いから。実際行ってみたが、該当フロアに行ってもABCクラフト以上のものはありそうにない。けれど一応店員に聞いてみた。ら、あった。透明のも含めて数種類の色漆(合成のもあるがこっちはホントの漆だと店員は説明した)が、小瓶で、しかもスクリューキャップには筆も付いている。1000円は量の割には高いけれど、これで十分と思い購入した。さすがハンズ、と一応言っておこう。
これで、あとはうちにあるものでなんとかなる。
で、この後実際にやってみた編を書こうと思うのだけれど、ちょっとその前にもう一度本を読んで確かめてみたいことがでてきた。ので、今日はこのへんで、続きは乞うご期待(していただけるなら)。
とりあえず、初めての記事です
yahooブログが終了するため、こちらに新たにブログを開設しました。これまで書物を読んだ感想などを書いていましたが、いろんなことを書きたいとは思っております。まあ、ボチボチやっていきます。
以前の日付の記事は全てyahooブログの記事です。随分前の記事ばかりですね。公開しようと書きかけの記事はいろいろあるのですが、どれも完成しないままになっています。これを機にそれらを完成させて、或いは新しい記事も書いていこうと思います。
yahooの時のタイトルは「My MANIFESTOのためのメモランダム」というものでした。かのマニフェスト選挙が行われていた頃に始めたのです。サブタイトルには「真の民主主義は一人一人が自分のマニフェストを作ることから始まる、と仮定して」と書いています。まあ、絶望を感じることの多い昨今ですが(中村哲さんの死は大きなショックでした)希望がなければこんなブログを書くこともあまり意味はないでしょう。以前なら大望を持って、とか書いていたところですが、せめて希望は持ち続けたいと思います。このブログのタイトルも、そのうち変更の予定で考え中です。
広島型原爆640個分の爆弾を使った戦争の本質とは
『動くものは全て殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』
先日の記事中の佐世保の宿の写真(と訂正)
『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ』 を読んだ